ねえ、いまの社会って、平時の顔してるくせに、神経の使い方だけずっと非常時っぽいと思わない?
あ、ごめん急に。
いや、ほんとに。
こういうのって、ちゃんと座って整理してから話したほうがいいんだろうけど、座ると逆に死ぬんだよ。
きれいにまとまりすぎて。
だから立ったまま言うね。
いま、爆撃が頭上に落ちてるわけじゃない。
徴兵されてるわけでもない。
街が燃えてるわけでもない。
そこはまったく同じじゃない。
同じって言い切るのは違う。
実際の戦争には、もっと露骨な破壊がある。
死がもっと近い。
生活基盤が物理で壊れる。
そこは雑に重ねちゃだめ。
それはそう。
それは絶対そう。
たださ、日々の体の使い方とか、心の摩耗のしかたとか、空気の張りつめ方とか、そういうところだけ見ると、いまかなり変じゃない。
ずっと緊急。
ずっと更新。
ずっと警戒。
ずっと適応。
終わりがない。
終わった感じがない。
昨日まで通用してたやり方が今日もう古い。
昨日まで普通だった気分が今日もう遅い。
昨日までの常識に体を預けると、そのまま置いていかれる感じがある。
これ、かなり異常だと思う。
ちょっと待って、あの植え込みの横の猫見た。
細い。
都市の猫ってなんであんなに情報量の少ない顔で走るんだろう。
生き延びることに集中しすぎて表情の余計な部分を削いだみたいな顔してる。
いや、いまの人もちょっと似てる。
必要な反応だけ残してあとは省電力にして歩いてる感じある。
ほら、戻るね。
戦時っぽいって何がいちばん似てるかって、まず、個人がずっと動員されてる感覚だと思う。
国のために、みたいなわかりやすさはない。
代わりに、稼働のために、更新のために、見捨てられないために、置いていかれないために、ずっと自分を前線へ出してる。
仕事で。
SNSで。
人間関係で。
恋愛で。
お金のやりくりで。
外見で。
何かひとつの戦場があるんじゃなくて、全部が細かい前線になってる。
しかも休戦がない。
やばくない?
寝て起きたらまた始まる。
通知が鳴る。
価格が上がる。
空気が変わる。
誰かの成功が流れてくる。
自分の遅れが見える。
また配置につく。
この感じ、かなり総力消耗モードだよ。
あと、戦時っぽいのって、人が人じゃなく機能に寄せられるところ。
優しいかどうかより、使えるかどうか。
傷ついてないかより、動けるかどうか。
迷ってるかより、返せるかどうか。
眠れてるかより、出せるかどうか。
いま、人って人格で評価されてるように見えて実際かなり機能で裁かれてる。
速度。
見栄え。
愛想。
即応性。
自己管理。
説明能力。
感情の後始末。
しかもその評価を、会社だけじゃなく自分でやる。
自分で自分の稼働テストを毎日やる。
今日はだめ。
今日は鈍い。
今日は出力が低い。
今日は感じ悪い。
今日は価値が薄い。
それもうかなり内面の軍務化だと思う。
起きた瞬間から点呼してるみたいな感じ。
うわ信号変わる。
このタイミングで人が一斉に前へ出るのなんかいつ見ても変だよね。
青が出た瞬間みんな自分の人生持ったまま斜めに流れていく。
あれ、すごく現代っぽい。
ひとりひとり別の事情があるのに同じ合図で動く。
命令されてるわけじゃない。
強制されてるわけでもない。
なのに止まれない。
この感じ。
命令がないのに全員が命令のあとみたいに動いてる。
ここいちばん怖いところかもしれない。
昔の戦時ってたぶんもっとわかりやすい。
敵が見える。
指揮系統が見える。
国家が見える。
いまはそこが霧になってる。
誰が命じてるのかはっきりしない。
市場か。
アルゴリズムか。
企業か。
世間か。
自分の恐れか。
全部が少しずつ命じてる。
だから反抗しにくい。
敵が散ってる。
散ってるから戦ってるつもりもないまま消耗する。
これはかなり厄介。
戦争より平和のほうが疲れる、みたいな雑なことを言いたいんじゃなくて、平和の顔をした動員がいちばん抜けにくいってこと。
それとさ、戦時っぽい空気って言葉が荒れるじゃん。
複雑なことを複雑なまま置けなくなる。
白か黒か。
正義か不正義か。
強いか弱いか。
有能か無能か。
すぐ二択にしたがる。
いまの社会これもかなりある。
迷ってる人が嫌われる。
保留が嫌われる。
揺れてる人が信用されにくい。
結論が遅いとそれだけで価値が下がる。
わからないって言い続けることが難しい。
複雑です、まだ途中です、少し時間がいる、そういう態度が弱さとして処理されやすい。
これかなり危ない。
人ってそんなに即断即決の生き物じゃないのに。
しかも最悪なのは、そういう空気のなかで、みんな自分を先に削ること。
戦時ってたぶん国が個人を削るでしょ。
いまは自分で自分を削る。
迷惑にならないように。
重くならないように。
遅れないように。
みっともなく見えないように。
この自己削減がものすごく日常化してる。
だから疲れる。
外敵だけじゃなく自分が自分の徴兵官みたいになってるから。
あ、ちょっと待って。
あのコンビニでお湯入れてる人いる。
カップ麺のお湯ってなんであんな切実に見えるんだろう。
夜のコンビニでお湯を注ぐ動作、あれだけでだいぶ人の現在地が見える気がする。
高級なメッセージよりああいう動作のほうが真実っぽい。
話戻す。
いまの社会が戦時下に似てるとしたら、いちばん似てるのは、平常運転のふりをした消耗の持続だと思う。
表面は普通。
店は開いてる。
電車も来る。
配達も来る。
カフェも混んでる。
広告も光ってる。
見た目は平時。
けど内側の神経だけがずっと緊急モード。
将来どうなるかわからない。
物価は上がる。
働き方は変わる。
安全だと思ってたものが安全じゃなくなる。
関係性も仕事も、突然更新を迫られる。
その状態で平常心を維持しろって言われる。
いや無理だろってなる。
普通に無理。
それを無理だと思う感覚のほうが正常。
だから、いま必要なのって、無理に前向きになることじゃなくて、まずこの異常を異常だと言うことだと思う。
みんな疲れてるのに、自分だけが弱いんじゃないかって思わされてる。
そこがまず違う。
疲れるようにできてる。
神経を持っていかれるようにできてる。
そのうえでうまくやれなかった自分にさらに判決を下す。
二重に削られる。
これは個人の根性の問題じゃない。
取り返しのつかないこともある。
その現実は重い。
社会の変化も速すぎる。
その速さは説明不能なくらい速い。
その二つが重なってる。
だから今の人がちょっとやそっとで安定しないのは当たり前なんだよ。
むしろ、その状況でまだ靴履いて、改札抜けて、誰かに返事して、電気代払って、生きてるだけで相当やってる。
ほんとに。
ここでさ、変な結論にしたくない。
希望があります、とか軽く言うと全部安くなる。
そうじゃなくて、たぶん必要なのは、この時代に合った体勢の組み直しなんだと思う。
戦時っぽい神経の使い方をしてるなら、それに気づかず自分を責め続けるんじゃなくて、まず、ああこれは個人のだらしなさじゃなくて時代の圧でもあるんだなって知ること。
それだけでだいぶ違う。
自分を裁く手つきが少し変わる。
今日は弱い、じゃなくて、今日は圧が強い。
今日は鈍い、じゃなくて、今日は消耗が前に出てる。
それだけで少し現実に近づく。
なんかさ、結局いちばん怖いのって、社会が荒れてることそのものより、荒れてる社会に合わせて自分を永久に縮めることなんだよね。
それをやり始めると時代が落ち着いたあとも戻れなくなる。
だから本当の意味で守るべきなのは、稼働じゃなくて、たぶん自分の感受の基礎工事なんだと思う。
疲れるときは疲れる。
迷うときは迷う。
遅れるときは遅れる。
その可動域を自分で違法化しないこと。
そこかなり大事。
あ、また猫いた。
同じやつかな。
さっきより遠いところ歩いてる。
猫って世界がどう転んでも自分の足で行ける幅だけちゃんと見てる感じあるよね。
あれくらいでいいのかもしれない。
全部に勝たなくていい。
けど自分の通れる幅まで自分で消すなっていう。
たぶん今の時代に必要なの、それ。
だから結論を言うなら、こう。
いまは戦争そのものじゃない。
そこは混ぜない。
ただ、社会の神経、言葉、働き方、自己管理の圧、消耗の持続、そのあたりはかなり戦時化してる。
平時の顔をした総力消耗モード。
それがいま。
そして、そのなかで自分を過小評価し続けるのは時代の圧に加担することでもある。
だからまず異常を異常だと知る。
速すぎるものを速すぎると言う。
疲れるものを疲れると言う。
取り返しのつかないことの重さを軽くしない。
そのうえで自分まで戦利品みたいに粗末に扱わない。
ここから始めるしかない気がする


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