社会は選択肢を消さずに人を揃える
社会は「それをするな」と言わなくても、人の行動をかなり揃えられる。
休むことはできる。ただし申し訳なさが付く。辞めることもできる。ただし納得できる理由が要る。違う意見も言える。ただし言った後の空気まで自分で片づけることになる。
選択肢を禁止する必要はない。
選んだ後に発生する面倒の量を変えれば、人はだいたい安い方へ流れる。
自由があるかどうかより、自由ごとの料金表を見た方が実態に近い。
この料金表は、長く使うと見えなくなる。
最初は「今日は休むと迷惑かな」と考えていた人が、何年かすると「自分は責任感が強いから休まない」と言い始める。
反論すると面倒だった人は「争いが嫌いな性格」になり、目立つと仕事が増えた人は「前に出るタイプじゃない」になる。
環境との交渉結果が、性格として保存される。
自分らしさの中には、かなりの量の利用規約が混ざっている。
評価制度は、そこに存在する能力を公平に発見するだけの仕組みでもない。
試験に出るものは勉強される。会社が褒める振る舞いは増える。数字になるものには改善が集まる。
測るという行為が、測られる側の形まで少しずつ作る。
そのあとで「この社会ではこういう能力を持つ人が多い」と言うのは、庭を全部赤い花が育ちやすい土にしてから「この土地では赤い花が自然に多い」と報告するようなものだ。
評価は、発見と育成を同時にやっている。
その仕組みと相性がいい人には、仕組みそのものが見えにくい。
学校で評価された人にとって、試験は能力を測る自然な方法に見えやすい。会社で昇進した人には、昇進基準が妥当に見えやすい。
成功した人の助言が間違っているとは限らない。
ただ、その人が通過できたフィルターについて、その人自身は摩擦の記録をほとんど持っていない。
ドアをそのまま通れた人より、肩をぶつけた人の方がドアの幅を正確に覚えていることがある。
一貫性が高く評価されるのも、その延長にある。
三年前と同じことを言っている人は、芯があるように見える。
三年間で得た情報が増えているなら、答えが一度も動かなかったことの方が説明を必要とする場合もある。
過去の決断は未来への契約ではない。
それでも「ここまで続けた」「もう周囲に言った」「これに時間を使った」という履歴が、次の選択を拘束する。
昨日の自分は今日より情報が少なかったはずなのに、なぜか役職だけ上になっている。
「本当の自分を取り戻せばいい」とすると、また少し話がおかしくなる。
好きなものも、恥ずかしいと感じることも、人との距離感も、働き方への感覚も、ほとんど外部との接触からできている。
社会を全部取り除いた純粋な自分なんて、たぶんかなり内容物が少ない。
必要なのは社会の影響をゼロにすることではなく、自分の中にある判断を、ときどき仮説へ戻すことだと思う。
「私は安定が好き」ではなく、「今まで安定を選ぶ方が安かったのかもしれない」まで戻してみる。
それだけで、次に選べるものが少し増える。
だから、生き方として有効なのは反抗より実験に近い。
普段なら説明するところで、少し説明を減らす。休む。断る。頼る。似合わないと思っていた場所へ一度だけ行く。評価されている自分とは別の能力を使う。
大きな決断にする必要はない。
環境を少しずらしたときに自分の行動まで動いたなら、「これが性格だ」と思っていたものの一部は条件依存だったと分かる。
自己分析より、条件変更の方が精度のいいことがある。
社会に完全に影響されない人になる必要はない。
そんなものを目指すと、スーパーでヨーグルトを選ぶだけでも思想史が始まる。
持っていた方がいいのは、自分の内部にある判断へ、ときどき所有権を確認する癖だと思う。
これは自分の意見なのか。
昔どこかで高くついた選択を、まだ避け続けているだけなのか。
誰にも止められていないのに自分で止まっているなら、その停止命令を書いたのは誰なのか。
自由は、選択肢の数だけでは測れない。
自分が選ばなかった理由を、自分で読み直せること。
そこまで含めて、ようやく少し自由になる。
社会は外側にあるだけじゃない。
かなり前から、自分の声を使って喋っている。
全部追い出す必要はない。
ただ、ときどき聞く。
「それ、誰の意見?」
その質問に自分が少し詰まるなら、まだ選び直せる余地が残っている。
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