社会には誰もサインしていないのに効力だけはきっちり発生する制度がある。
空気だ。
雰囲気ではない。
もっと事務的なもの。
もっと執行に向いているもの。
もっと責任者不在のくせに処理能力だけ高いもの。
空気は場の温度じゃなく発言の課税表に近い。
これを言うと誰が黙るか。
これを言うとどんな種類の人として保管されるか。
これを言うと、のあとどの卓で自分の名前が雑に使われるか。
そこまで含めて口に出す前にだいたい計算が終わる。
だから人は本音を我慢しているんじゃない。
先に見積書を読んでいる。
かなりよくできてる。
法律みたいに紙がない。
校則みたいに番号もない。
破った瞬間だけ全員の事務処理能力が急に上がる。
さっきまで眠そうだった人まで急に分類が上手くなる。
あの人ちょっと強いよね。
あの言い方は危ない。
そういうのここで言うんだ。
この手の言葉って本当に便利で中身が空でもラベルだけは一流なんだよね。
雑誌の帯みたいに内容より先に印象だけ決める。
人が空気を読んでいる、という言い方も少し違う気がする。
読まれてるのはこっちだ。
この人はここで笑って流す。
この人は角を立てない。
この人は説明を増やして丸くする。
この人は飲み込む。
その見積もりが先に済んでから場は安心して無神経になる。
つまり感じのいい社会性ってかなりの割合で先に見切られた我慢の上で運営されている。
ここで人が選ぶ身のこなしはだいたい三種類に分かれる。
まず沈黙。
見えている。
思っている。
でも出さない。
目線まで何も受信していない側へ寄せる。
あれは上品さじゃない。
防火扉だ。
賛成した人より気づいていた人のほうが責任を持たされる場面ってあるでしょう。
だから気づいていること自体を隠す。
知性の使い道としては少し悲しいけど生活技術としてはかなり優秀。
次に霧。
言う。
ただし意味のまわりに何枚か薄布を垂らしてから言う。
そういう見方もあるよね。
状況によると思う。
人それぞれかな。
意味に直接触れない。
温度だけ伝える。
あれ格好よくはない。
でもかなり持つ。
発言に保険証を添付する話し方。
現代って説得力そのものよりあとで回収されにくい形のほうが先に評価されることがあるから。
最後が火。
言う。
しかもちゃんと言う。
その瞬間、場が一回こちらを見る。
テーブルの上に見えない書類が一枚増える。
あ、ここから先はこの人の案件だなという空気が漂う。
こういう人は面倒がられる。
場の空気が入れ替わるのはいつもここからだ。
ずっと閉めきった部屋って礼儀正しく息苦しいだけだから。
この制度のおもしろいところは勝者がいないことだ。
守った人が報われるわけでもない。
口をつぐんだ人の年金が増えるわけでもない。
黙っていた人にだけ後日ポイントが付くわけでもない。
ただ全員今日の損害を少なくしたい。
その結果昨日の空気がまた一日延命される。
そうやって古いものが思いやりの服を着て生き残る。
たまにこれを秩序と呼ぶ人がいる。
私は少し違うと思う。
これは秩序というより責任の押し合いだ。
誰かが言えばその人の問題になる。
誰かが止めればその人が空気を悪くした人になる。
誰かが名前をつければその人だけが大げさになる。
その仕組みがあるからみんな無名でいたがる。
思っていても言わない。
見えていても知らないふりをする。
感じていても別に私はそこまでと手を引っ込める。
そのほうが自分の机の上が散らからないから。
机の上が散らからない生活ってたいてい心の奥が倉庫になるんだよね。
本当は変だと思ったこと。
雑に扱われて腹が立ったこと。
どうしても飲み込めなかった言い方。
あの辺を毎回段ボールに入れて奥へ押していると最後には社会性だけが立派になって感情の住み場所がなくなる。
その人外から見るとかなりちゃんとしている。
中でかなりの面積が貸倉庫になってる。
あ、駅のエスカレーターって片側を空ける習慣あるでしょう。
誰が決めたのか本当に知らないのにみんな当然みたいに従ってるやつ。
ああいうのを見るたび空気って本当に設備に近いなと思う。
誰かの思想じゃない。
毎日ちゃんと人を運ぶ。
少しでも逆らうと思想じゃなく不具合として扱われる。
戻るね。
空気は場所で性格が変わる。
学校の空気。
会社の空気。
家族の空気。
飲み会の空気。
マンションの廊下の空気。
全部ちがう。
言っていいことの濃度も黙っていて許される量も手元に置いておける怒りのサイズもそれぞれ違う。
そして渋谷には渋谷の空気がある。
ここかなり大事なんだけど渋谷の空気って人を締めつけるためのものとしてだけ読むと外す。
あの街には身元照合の甘さがある。
これがいい。
昨日までの自分と今日の自分が少し噛み合っていなくてもとりあえず通行を止められない。
少し変わった服。
少し強い髪。
少し急な決意。
少し先の自分を先に着てきたみたいな選び方。
あの街はその全部をいったん街に混ぜる。
履歴をうるさく照合しない。
昨日までそうじゃなかったでしょうをあまり言わない。
そこが本当に大きい。
他の場所では起こるんだよね。
急に変わるな。
急に目立つな。
急に似合うな。
急に自信を持つな。
昨日までのあなたとの整合性を提出してください、みたいな静かな事務。
渋谷はその提出をそこまで求めない。
今そこに出てきたものをその場の最新版として扱う。
軽い。
雑とも言える。
その雑さに救われる日がある。
人が多いからだけじゃない。
店も光も音も人影も多くてひとり分の過剰がすぐ全体へ混ざる。
少し大きい自意識。
少しやりすぎた美意識。
少し未完成な決意。
少しだけ説明不足の願い。
そういうものを一回受け止める面積がある。
だから渋谷では未完成のものがいきなり恥にならない。
かなり稀だと思う。
渋谷の空気は許可証を発行するんじゃない。
勝手に通してしまう。
そこがいい。
正式な承認なんてくれない。
とりあえず止めない。
人ってきちんと許された時よりまず通された時のほうが変われることがあるでしょう。
あの街にはその「まず通す」がある。
だから渋谷って完成した人の街というより、試着したまま外へ出ることが許される街なんだよね。
まだ自分のものになりきっていない服。
まだ言い切るほど育っていない考え。
まだ名前のない欲望。
そういう途中のものをそのまま人混みの中へ出してしまえる。
そして意外とそれで成立する。
成立してしまうと人は自分の新しい版を少しだけ信じられる。
この感じかなり救いに近い。
救いって言うと急に安くなるから別の言い方をしたい。
渋谷には未完成のまま人前に出るための大きい受け皿がある。
未完成を即不良品にしない。
試運転を即黒歴史にしない。
その寛大さがあの街のいちばんいいところだと思う。
渋谷はそれを説教しない。
あなたらしくいていいよなんてぬるい標語もくれない。
もっと都市的。
もっと無記名。
もっと雑。
でもその雑さが、変身の邪魔をしない。
むしろ少し背中を押す。
まあ一回それで歩けばという感じで。
誰もが思っているのに言えないことも場所が変わると出方が変わる。
同じ一言でも閉じた部屋では人格の問題になる。
渋谷に出すと街の雑踏がそれを少し薄めて人の前に置ける形にしてくれることがある。
あの街は言葉を完璧にしてから出せとは言わない。
まず外へ出せと言う。
そして外へ出たもののほうをあとから街の中で育てる。
だから空気に疲れた人ほど渋谷で少し息を継げることがあるんだと思う。
ちゃんとしきれていない自分。
まだ説明しきれていない決意。
少しだけ先走った選び方。
それをいきなり没収しないから。
まず混ぜる。
まず歩かせる。
まず晒す。
その順番がある。
空気ってたいてい人を黙らせる方向で働く。
渋谷の空気にはときどき黙っているくらいなら一回出してみたほうがましという働き方がある。
ここが大きい。
かなり大きい。
だから最後に言いたいのはこれだ。
空気はいつも人を縛るものじゃない。
場所によっては人を通すために働く。
渋谷の空気はその代表だと思う。
昨日までと少し違う自分。
まだ完成していない自分。
少し先の自分を先に着てきただけの自分。
あの街はとりあえず通してくれる。
それってかなり重要でしょう。
人は許されたから変わるんじゃない。
いったん通されたことで自分の変化を本当のものにしていくから。




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