神のいない場所で誰が見ていたのか

神のいない現代で、暴力と喪失に壊された人間はなぜ祈るのか。祈りを救済ではなく、現実に人生の最終稿を書かせないための行為として捉え直すエッセイ。

神様。あなたがいないことはもう知っています。知っているというより、あなたがいないことを前提にしなければ説明できないものがあまりにも増えました。爆撃された街の映像のあとに天気予報が始まり、誰かの告発の横に化粧品の広告が表示され、死者の人数が更新されるたび、数字だけが整っていく。世界は残酷なのではありません。残酷ささえ通常の処理に組み込めるほどよくできています。人が壊れても画面は暗くなりません。

私が耐えられなかったのは暴力そのものだけではありませんでした。暴力のあとに置かれるきれいな言葉でした。あなたは一人ではない。痛みはいつか力になる。自分を大切にしよう。明けない夜はない。どれも間違ってはいません。間違っていないからこそ逃げ道がありませんでした。救われない人は言葉のほうを疑うことを許されず、自分の受け取り方を疑うしかなくなる。正しい言葉は、傷を治すふりをしながら治らない責任を傷ついた側へ戻してきます。

この社会では苦しみに説明が求められます。何があったのか。なぜ離れなかったのか。どうして相談しなかったのか。そこから何を学んだのか。これからどう生きるのか。壊れた人は壊されたことだけでは足りません。その破片を並べ順序をつけ他人が理解できる形にして提出しなければならない。痛みは感じるだけでは認められず報告書になって初めて存在を許されます。

私は何度も説明しました。言葉を選び感情を抑え誰にも不快感を与えない順番で、自分に起きたことを話しました。すると人々は頷き、困った顔をし最後には何か前向きな言葉を置いて帰っていきました。話す前より孤独になりました。彼らが聞いたのは私の傷ではなく傷について整理された情報だったからです。人は他人の苦しみを受け取るとき、理解できる部分だけを持ち帰り残りを本人のもとへ返します。

だから私はあなたに話しかけるようになりました。救ってほしかったからではありません。罰してほしかったからでもありません。ただ一度だけ説明しなくても起きたこととして認めてほしかったのです。教訓にしなくていい。成長へつなげなくていい。誰かの役に立つ物語にしなくていい。あれは起きた。私は傷ついた。それだけで世界のどこかに記録されていてほしかった。

人は苦しみに耐えられないのではないのかもしれません。苦しみが何にも数えられないことに耐えられないのです。誰にも知られず、何も変えず、何の教訓にもならず、ただ一人の内部だけを壊して終わる出来事がある。そのとき人自分が傷ついたことより、自分の傷が世界にとって一度も起きなかったのと同じであることに絶望します。

神とはすべてを救う存在ではなかったのでしょう。すべてを見ていたことにするための最後の目撃者だったのでしょう。人の法が届かない場所で証拠の残らない暴力を見ていた者。誰にも説明できない喪失を説明のないまま覚えている者。祈りとは願いではなくこの世界の記録からこぼれ落ちた出来事をもう一つの記録へ移す行為だったのかもしれません。

けれど、それだけでは足りませんでした。見られていたとしても失ったものは戻りません。記録されたとしても傷は閉じません。あなたがすべてを知っていたとしてもそれは監視カメラが映像を残していることと何が違うのでしょう。目撃者がいるだけでは暴力は取り消されません。私はそこで初めてあなたに見てほしかったのではないと気づきました。

私が守りたかったのは出来事の意味を決める権利でした。

暴力は人を傷つけるだけでは終わりません。その後の人生に入り込み、何を恐れるか、誰を信じるか、どこへ行けるかを決め始めます。喪失は何かを奪うだけではありません。奪われた人がその後どんな文章を書くかまで支配しようとします。傷つけた側が忘れたあとも傷つけられた側の内部では出来事が作者であり続けます。

世間のきれいな言葉も同じことをします。いつまでも引きずるな。過去に縛られるな。幸せになって見返せ。そこでは回復の形まで先に決められています。泣き続ければ敗北で、許せば成長し、笑えれば克服になる。被害を受けた人にはその後の物語まで模範的であることが求められる。暴力から逃げたあとも物語の出口には別の審査員が立っています。人は壊されたうえに壊れ方まで採点されるのです。

だから神様。私はもうあなたに正義を求めません。世界を正してほしいとも思いません。そんな大仕事を存在しているかも分からないあなたに押しつけるほど私も無邪気ではなくなりました。ただ私の人生の続きをあの出来事に書かせないでください。

失ったものに意味があったとは言いません。苦しみが私を強くしたとも言いません。あれがなければ今の自分はいなかったなどという美しい因果で過去を赦すつもりもありません。今の私がここにいることはあの出来事が正しかった証明にはならない。生き残ったことは起きたことへの同意ではありません。

それでも私は書きます。書くことによって救われるからではありません。書いたところで何も戻らないことは分かっています。私はただ現実だけに最後の一文を書かせたくないのです。起きたことが事実であってもその事実が私のすべてを説明することまでは許したくない。現実には出来事を起こす力があります。しかしその出来事をどう終わらせるかまで現実の所有物ではありません。

もしかするとあなたは存在ではなくこの場所の名前なのかもしれません。暴力が最後まで埋めることのできなかった場所。社会の説明が届かずきれいな言葉も入ってこられない場所。失ったものが戻らないままそれでも奪われずに残っている意味の決まっていない場所。

私はそこへ書いています。誰かに読まれるためではありません。希望を残すためでもありません。希望という言葉はときどき未来に対する新しい義務になります。私はもう未来を明るくする責任まで背負えません。ただ終わったことにされた人生の端へまだ終わっていない一文を置いています。

神様。あなたがいなくても祈りは残ります。それは人が愚かだからでも弱いからでもありません。現実に起きたことと現実に決めさせることは同じではないからです。

祈りとは救いを待つことではありません。

世界に最終稿を渡さないことです

Written by stilloperable

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GlassRoom / ToBeAlive Project

人がすでに持っている価値を、他人の場所で消費させず、自分の名前に残すための設計と文章。

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