アイドルになりたいと思ったことがない人へ|人は、存在しなかった未来に後悔できない
アイドルになりたいと思ったことがない。それは、アイドルを選ばなかったという意味ではないかもしれない。
後悔できる未来には条件がある。一度は自分のものとして想像していたことだ。受けなかった学校、断った仕事、別れた人、やめた活動。あのとき逆を選んでいたら、と考えられるのは、もう一方の世界が一度は頭の中に存在していたからだ。人は見えていた分岐には戻れる。見えていなかった分岐には、戻る場所そのものがない。
写真を始めていた自分。海外に住んでいた自分。小さなブランドを作っていた自分。文章を出していた自分。別の名前を使っていた自分。数時間だけ人前に立っていた自分。そういう可能性が一度も候補にならなかったなら、失われても痛みは発生しない。比較対象がないから、現在との差額を計算できない。
人は選択を間違えたときより、選択肢が発生しなかったときの方が静かに多くを失える。失敗したなら記憶が残る。恥ずかしかった日も、途中で逃げた日も、少なくともそこへ行った自分は残る。何も始まらなかった未来だけは記録すら作られない。
だから「後悔していない」は、思っているほど強い証拠ではない。納得できる選択を続けてきた結果かもしれないし、検討した未来の種類が少なかっただけかもしれない。自分に表示された五択の中で満足していることと、百択を見たうえで五番目を選んだことは同じではない。本人の感覚だけでは、この二つをほとんど区別できない。
十七歳のときに存在を知らなかった働き方を、十七歳の自分は断れない。十九歳のときに一度も接触しなかった文化を、十九歳の自分は嫌いになることすらできない。二十一歳まで「自分が見られる側に回る」という発想がなかった人は、その可能性について適性も興味も測っていない。それなのに二十二歳になれば、「私はそういうタイプではない」という完成した文章だけ持っていることがある。
人は体験していない未来にも説明をつけられる。向いていない。自分らしくない。今さら遅い。時間がない。そこまで興味がない。説明はかなり早く作れる。その説明が事実かどうかを確認する機会は、説明を作ったことで消える。未検証の未来を、言葉だけで処理済みにできる。
失われるのは巨大な成功だけではない。一回だけ撮影されていた午後、三か月だけ何かを作っていた時期、知らない音楽を聴いていた一週間、別の名前で文章を書いていた夜。長く続かなかったかもしれないし、仕事にもならなかったかもしれない。それでも、その短い期間にしか出なかった自分は存在し得た。
存在しなかった未来を考えるとき、人は「もしあのとき別の道を選んでいたら」と考える。そこにはまだ知っていた道しか登場しない。本当に失われたものの中には、当時の自分が道として認識すらしていなかったものがある。選択を間違えた未来ではない。選択の分岐点まで到達しなかった未来だ。
社会はその消失をかなり静かに処理する。学校では進路表が配られる。就職では業界一覧を見る。SNSでは過去に見たものから次が届く。適性診断では過去の回答から未来を推定する。誰かが意図的に候補を削除しなくても、候補生成が過去に依存していれば、昨日まで存在しなかったものは明日も表示されにくい。
本人も同じことをする。「私はこれが好き」「こういうことは苦手」「こういう場所には行かない」。昨日までの観測結果から、明日の検索範囲を決める。まだ一度も測っていない領域まで過去のデータで閉じ始めると、自分について詳しくなるほど未知の自分が発生しにくくなる。自己理解が検索フィルターになり、過去の自分が未来の推薦エンジンになる。
アイドルについても同じことが起きる。「アイドルになりたいと思ったことがない」と言う人に、「アイドルを諦めたんですか」と聞くのはおかしい。諦めていない。検索していない。オーディションを比較していない。ステージに立つ自分を想像したこともない。最初から自分の未来として表示されていなかったなら、YESもNOもまだ発生していない。
しかも「アイドル」という言葉には、かなり大量の条件が最初から結びついている。歌やダンスに多くの時間を使う。週に何度も活動する。長いレッスンへ通う。SNSを頻繁に更新する。生活の中心を活動へ寄せる。何年も続ける覚悟を先に出す。そこまで一つの箱に入れられた状態で「アイドルになりたい?」と聞かれれば、自分には関係がないと感じる人が出るのは不思議ではない。
では、一時間だけ撮られるならどうだろう。一枚だけ写真を残す。数行だけ言葉を出す。好きな時間だけ別の名前で現れる。終わったら帰る。その三日後、一度その人を見た誰かが、もう一度その人を探している。活動に使った時間は短いのに、本人がいない場所で記憶だけが継続している。
You’re an idol when someone sees you once and wants to see you again. 一度見た人が、もう一度見たいと思ったら、その時点からアイドルを考えてもいい。何年間続けたかではなく、二回目が発生したか。何時間活動へ差し出したかではなく、その時間が終わったあとにも誰かの中で続いているか。そう置き直すと、アイドルになりたかった過去を持たない人まで初めて同じ画面に入ってくる。
GlassRoomが考えているのもそこに近い。アイドルになりたい人だけを集めて、すでに決まっている型へ入れることを出発点にはしていない。本人が持っている姿、言葉、服、声、表情、作ったもの、その人だけが気づくものを一度外へ置いてみる。それを見た第三者に「もう一度見たい」が発生するのかを確かめる。最初から長期間の活動を約束しなければ成立しないとは考えていない。
一度も表示されなかったものは、拒否すらできない。見て、少し想像して、それでも違うと思ったなら、そのNOには一度検討した履歴がある。何も知らないまま候補から消えていた未来とはかなり違う。
GlassRoomも、決断を迫る場所ではなく、今まで候補に入っていなかったものを一度だけ表示する場所でありたい。昨日まで「アイドル」という単語を自分に使ったことがない人にも、自分を外へ出してみる可能性を一度だけ見せる。写真になるのか、言葉になるのか、数時間だけ現れるのか、その先まで入口で決める必要はない。こちらにも、何が残るかはまだ分からない。
ここまで読んで、それでも「アイドルになりたい」とは思わないなら、そのままでいい。GlassRoomが気にしているのは、最初から答えがYESだった人だけではない。その言葉を自分に使ったことがないのに、検索していたわけでもないのに、なぜかここまで読んで、少しだけ自分の話として残ってしまった人も含まれている。
エントリーフォームは、何年続けるかを宣言する場所にはしていない。昨日まで表示されていなかった候補を、一度だけ現実側へ出してみる入口として置いている。見たうえで違うなら、その判断は自分で持って帰ればいい。少し残るなら、その時点で昨日までの候補一覧とは一行だけ違っている。
失った未来の中で一番見つけにくいのは、選ばなかったものではない。一度も選択肢として現れなかったものだ。
































