誰も傷つけていないのに
誰かが少しずつ傷ついてく。
違う場所で起きたことが同じ身体に続いていく。その一週間を一つの理由にできるだろうか。
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「何がつらい?」
学校。
家。
お金。
明日のこと。
画面の向こう。
それぞれは別の話。
同じ一週間の話なのに。
「気にしすぎ」
そう言われた日は終わった。
次の日。
教室で笑い声がする。
自分の話ではない。
そう確かめるまで身体が止まる。
傷つける言葉はもう来ていない。
身構える仕事だけが残っている。
出席した。
授業も受けた。
平気だったことにはならない。
出席簿にはその違いを書く欄がない。
家に帰る。
学校とは別の場所。
でも別の身体にはなれない。
「自分で進路を決めて」
学費は?
通学費は?
家を出るお金は?
決めることはできても
選び直せるとは限らない。
話したい相手と
生活を頼っている相手が
同じこともある。
言葉の自由だけでは
そのあとの暮らしを守れない。
二十歳を過ぎる。
自由が急に増える。
という話を聞く。
でも
家賃。
学費の返済。
勤務表。
来月の残高。
「合わないなら辞めれば」
辞めたあとに帰れる場所は?
辞められる自由と
辞めても暮らせる条件は
同じではない。
同じ助言が
違う値段になる。
比べなくていい。
順位はつく。
無理しなくていい。
締切は来る。
自分らしく。
評価の項目は決まっている。
何かを好きになるより先に
どう見られるかを考える日がある。
反応があった。
理解されたとは限らない。
反応がない。
価値がないとは限らない。
わかっている。
それでも気になる。
頭で否定できることが
身体から消えるとは限らない。
同じ一言。
同じ痛み?
そうとは限らない。
帰って眠れる部屋がある人。
明日の生活費が足りない人。
その場を離れられる人。
離れたら行き先がない人。
受けた言葉が同じでも
そのあと取れる行動は違う。
痛みを出来事だけで測ると
回復に使える条件の差が消える。
一回目。
警戒が残る。
二回目。
まだ何も言われていない。
先に身構える。
三回目。
黙ってやり過ごす。
出来事を数える。
一。
二。
三。
数えられないのは
そのあいだに費やした時間。
痛みは回数だけでは増えない。
次の一日を変えてしまう。
予定は埋まる。
返事もする。
食事もする。
笑う日もある。
「大丈夫そう」
できていることは
苦しくない証拠にならない。
好きだった曲を再生する。
何も感じない。
欲しいものがないのか。
欲しいものを考える前に
一日が終わるのか。
空っぽ。
でも軽くない。
何も起きていない時間にも
身体は次に備えている。
学校では成績。
仕事では勤務。
家では返事。
画面では反応。
それぞれが見ているのは
生活の一部分。
どの数字も
その日の苦しさを測るためのものではない。
数字が悪くない。
だから平気。
そんな推論は成り立たない。
場所ごとに別の出来事として扱われても
身体だけは場所ごとに交換できない。
「何があった?」
どれを先に話す?
「いつから?」
いつからだろう。
「一番の原因は?」
順番をつければ
ほかの原因は小さくなる?
説明できないことと
起きなかったことは違う。
耐えられたことと
傷つかなかったことも違う。
何かが足りないのかもしれない。
何かが多すぎるのかもしれない。
それさえ一つに決められない。
それくらい。
そう呼んだ人の一日は終わる。
言われた人の次の日には
まだ続いていることがある。
家でも。
学校でも。
仕事でも。
ひとつずつ起きた。
ひとつずつ終わってはいない。
「何がつらい?」
一つだけ答えたら
ほかの痛みが消えるわけではない。

