世界を知るほど世界を感じなくなる。ニュースを見ても何も感じない。

世界のニュースを知るほど詳しくなるのに何も感じなくなる。情報は数秒で届いても現実が変わる速度は違う。ニュース疲れや感情の鈍化、喪失感の消失を通して、知識だけが増えていく社会と内面の矛盾を描くスクロール型の文章作品。
stilloperable / TEXT 01 — 10

知識と喪失感について 知識が蓄積していくのに内側では何かが失われ続けてる。

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朝。

知らなかった地名を読む。

水が届かない。

家に戻れない。

学校が使えない。

前の日にも同じ場所の記事を読んでいる。

今日は地名を検索しない。

読めるようになっている。

記事にある数字が 昨日からどれだけ変わったかもわかる。

以前なら その場所を地図で探した。

道路の名前を確かめた。

次の知らせを待った。

いまは 次の記事へ進む。

理解できなかったから 何も感じないのではない。

理解できることが増えているのに そのあと何も起きなくなっている。

悲しさがない。

悲しくないことへの驚きもない。

新しい知らせは数秒で届く。

水が使えるようになるまでの時間は 通知が届く速さとは無関係。

画面では 昨日の記事が下へ移る。

昨日の出来事は その場所ではまだ今日の出来事かもしれない。

こちらでは過去形になる。

向こうでは現在形のまま続く。

その違いを説明できる。

説明したあとに 何かを調べたくなるわけでもない。

知識が増えたという手応えもない。

わかることが わかるだけで終わる。

別の土地の知らせが来る。

別の言語。

別の制度。

別の理由。

同じ大きさの文字で表示される。

現地で続いた時間は 画面に表示された行数と一致しない。

見せられた出来事を覚える。

映らなかった出来事は知らない。

感情が強く動く場所と 被害が大きい場所も 必ずしも一致しない。

それなのに 以前は悲しみの強さを どれだけ真剣に受け止めたかの証拠にしていた。

いまはその証拠がない。

かといって 何かを軽く扱ってよい理由が 新しく生まれたわけでもない。

感情が事実の重さを決めていないなら 感情が消えたあとにも 事実の重さは残っている。

昼。

画面には 今日も知らない場所が増える。

知っている場所も増える。

そこで失われたものを 自分が失ったものとして語ることはできない。

住んだことのない部屋。

使ったことのない道。

聞いたことのない日常の言葉。

知らない部分を想像で埋めれば 詳しく知ったような気分になれる。

けれど 知らないことは残る。

記事に書かれていない暮らしを 読んだだけで知ったことにはできない。

その慎重さは必要。

そして今は 慎重になったことでさえ 何も感じない。

夕方。

米を研ぐ。

冷たい水を指が感じる。

塩味はわかる。

炊ける匂いもわかる。

感覚がすべて消えたわけではない。

網膜に入った光から 神経の信号が生まれ 文字の意味が読み取られる。

細胞はATPを使って働き続ける。

記事の意味を理解しても 身体の代謝が その理解を待つわけではない。

知ったあとも食べられる。

以前はここに罪悪感があった。

食べられる側にいること。

食べられない場所を知っていること。

その二つが 同じ夕方に存在しているのが苦しかった。

いまは罪悪感も薄い。

正当化する言葉を探していない。

自分を責める言葉も探していない。

ただ 夕飯ができる。

自分を責めることは 遠くの出来事を変えることとは違う。

悲しみを感じた時間は 誰かに届いた食料の量ではない。

知らせを見た回数は 使えるようになった水道の数ではない。

ここまでは以前から知っていた。

前には 知らせを閉じたあと 悲しめない自分について考え続けた。

何が失われたのかを調べる時間より それを悲しめない理由を探す時間が 長くなった日もある。

遠くの出来事が いつのまにか 自分の誠実さを判定する問題になっていた。

いまは その判定さえ始まらない。

けれど その区別ができるようになっても 実際に何を変えられるかは別の問題。

情報を届ける仕組みは 世界の離れた場所にまで伸びている。

受け取った側が その場所の流通や法律を すぐに変えられる仕組みは 同じようには伸びていない。

知らせを受け取る能力と そこへ働きかける力は 別々に増える。

いまはその差にさえ 何も感じない。

差がなくなったわけではない。

何も感じないと 責任までなくなるだろうか。

強く悲しめば責任が増える。

悲しくなければ責任が減る。

そんな決め方では 何を知り 何を選べて 何に関わっているかが 全部抜け落ちる。

何も感じずに調べることはできる。

何も感じずに寄付することもできる。

何も感じずに記事を閉じることもできる。

だから 無反応は善意の証拠にも 無関心の証拠にもならない。

それぞれの行動と結果は 別に確かめるしかない。

ここまで考えても 何かを始めたくなるわけではない。

正しい説明はつくれる。

その正しさが 次の動作を連れてこない。

前には 知らせのあとに続きがあった。

知らない町のことを もう少し知りたかった。

次の日の記事を探した。

誰が復旧を決めるのか調べた。

自分にできることがあるか確かめた。

すべてを変えられたわけではない。

それでも 知ったことが次の問いを生んでいた。

いまは 答えを読み終えると 問いも終わる。

世界で起きている出来事が 終わったわけではない。

終わるようになったのは その出来事を読んだあとの時間。

以前は残っていたものが いまは残らない。

失ったと感じることも少ない。

失われたものがあると 考えればわかるだけ。

喪失を知っていることと 喪失感があることも 別になってしまった。

夜。

記事が更新される。

更新されたのは文章と数字。

水が届くようになったという 知らせではない。

それでも 新しい記事が表示されると 何かが一段落したように見える。

画面には次がある。

その場所に次の朝が来ることと 次の記事が届くことも別。

前はその違いに立ち止まった。

いまは立ち止まらず 正確に理解できる。

少し前までは 何も感じなくなったことが怖かった。

いまは 怖かったことを覚えているだけ。

喪失感が薄れたことへの喪失感さえ 薄れていく。

翌朝。

同じ地名を読む。

誤読しない。

何が失われているか 昨日より詳しく知っている。

画面を閉じる。

その土地で暮らしている人の一日は ここで閉じた画面に従わず続く。

別の場所に暮らす一日も続く。

両方が続くことに 理由を与える必要はない。

でも 続いているというだけで 何も失われていないことにはできない。

夕飯の米を量る。

二合の線まで水を入れる。

少し多い。

少し捨てる。

戻せるものは戻せる。

遠くで失われたものについて 昨日より詳しく説明できる。

その説明をしたいという気持ちは いまは起きない。

炊飯のボタンを押す。

明日の朝の分もある。

明日が来れば また何かを知る。

いまは 何かを感じられるようになりたいという願いも 起きていない。

炊飯器には 残り二十八分と表示される。

朝に読んだ場所では 水が戻る日付がまだ決まっていない。

両方を知っている。

残り二十七分になる。

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Author

stilloperable
個人ブログ。インターネット、仕事、学校、アイドル、まだ名前のついていない仕組みについて書いています。現在、GlassRoomというアイドルプロジェクトを準備中。

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