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僕は幸せになれるだろうか?
結論を出す前に問いの設計を変えてみる。
ものさしのほうが先に変わる
この問いには主語と未来形があるのに肝心の「幸せ」の測定方法が書かれていない。年収か睡眠の深さか午前二時に知らない曲をもう一回聴きたくなることか。同じ僕でも来年は今日と違う尺度を採用するかもしれない。答えより先に測り方が変わっていく。
だから「いつか幸せになる」という言い方には少し不思議なところがある。幸せを未来の一点に置いてそこへ到達した瞬間に真になる命題として扱っている。でも人間の評価関数は生きているあいだ更新され続ける。
式は答えではなく欠けているものの地図
xt+1 = F(xt, at, et)
理系の言葉を借りるなら幸福を一定の値Hと置くのは乱暴に思える。いまの状態がx。選べる行動がa。環境や他者から来る入力がe。次の状態をこの三つから考えてみる。式にした途端に人生を予測できるわけではない。むしろ何を知らないまま生きているのかが少し見えやすくなる。
雨や電車の遅延。他人の気分。偶然流れてきた一曲。制御できない入力を誤差として捨てたら僕たちが暮らしている世界そのものが式から消えてしまう。
最適化しすぎると道がなくなる
幸福をただ一つの目的関数にすると毎日が成績表になる。好きだった音楽さえ投資効率で聴き始める。将来の損失を避けようとして寄り道を全部消したら思いがけない何かがこちらへ曲がってくる道も一緒に閉じてしまう。
幸せそうな人の暮らしを真似ても同じ結果は出ない。相関は因果ではない。観測できない変数が多すぎる。合理性とは不確実性を消すことではなく何を守りどこに未知の余地を残すかを選ぶ態度でもある。最短距離だけでは辿り着けない場所がある。
偶然は注文できない
偶然を発注することはできない。けれど人が出会える回数や作品を公開する頻度は変えられる。試して失敗しても戻れる余地も知らない誰かが立ち寄れる入口もつくれる。僕がブログを書くのはインターネット上に小さな交差点を一つ増やすためでもある。
どんな人が読むかは指定しない。何を持ち帰るかも決めない。交わる可能性だけを自分の手で消さずに置いておく。
まだ地図にない交差点
未発表都市とは建物のない街ではない。まだ出会っていない人の関係だけが先にどこかに潜んでいる街。終電後のホーム。試聴の三十秒。ライブハウスの床についたテープ。誰かのブラウザで偶然開かれた文章。そのどれかがあとから振り返ると最初の住所になっているかもしれない。
都市は人を近づける。でも近いだけでは出会いにならない。目が合うための角度や話が始まるだけの時間が要る。僕はその条件をつくる仕事に興味がある。
技術は選べる範囲を広げる
自分たちでできることは自分たちでする。これは節約の標語ではない。音を録る方法を覚えるのは音を変えたいときに許可を待たないため。Webをつくるのは作品の置き方を自分たちで決めるため。服や映像に触れるのは好きなものを別の誰かの事情で諦めないため。
技術は自由の可動域を増やす。制御とは結果を支配することではなく結果を観測して次の入力を変えられること。知らなかった操作を一つ覚えるだけで昨日は選択肢になかった表現が今日から選べるようになる。
一人分の計算では起きないこと
いま東京で取り組んでいるのがインディペンデントなアイドルプロジェクトGlassRoom。音楽制作とダンス。衣装と映像。Web。違う技術と好みを持つ人が同じ時間に立つと一人で書いた予定表からは予測できなかったものが生まれる。
アイドルという形式に惹かれるのは誰かを理想の型へ押し込むためではない。個人の声が集団の音に変わる瞬間を見たいから。そして参加する人が自分の意思で選び意見を言い必要なら離れられる場所でなければそこで起きたことを自由な創作とは呼びにくい。
珍しさと価値を混同しない
I(x) = −log2 P(x)
情報理論では起こりにくい出来事ほど自己情報量が大きい。ただし珍しい出来事が幸福を保証するわけではない。事故だって予想外に起きる。数字が大きくなれば人生が良くなるわけでもない。
大切なのは驚きの強度よりあとからその出来事を大切に思えること。予想外の喜びが入ってくる条件を増やしながら人が安心して帰れる出口もつくる。その両方を設計したい。
証明できないまま今日を更新する
僕は幸せになれるだろうか。いまこの問いを証明する方法はない。けれど予言のように放置する必要もない。今日文章を公開する。音を置く。知らなかった技術を覚える。まだ会っていない誰かが通れる扉を少し増やす。
幸福の行方を先に決めることはできない。それでも人生が予想外に良くなるための条件には僕の手が届く。明日の僕が今日とは別の答えを出せるように今日はここまでつくっておく。











