今以外、通行止め

今以外が通行止めになる速度域。内側の騒音が剥がれ、身体と路面と心拍だけが残る、危うく静かな散文。

最初に消えるのは言い訳
次に名前
その次に昨日

風がドアを叩く
内側の部署が返事をする前に吹き飛ぶ

頭の中にはいつも変な係員がいる

昨日の会話をまだ議事録にしている係
来てもいない失敗に三角コーンを並べる係
あの時ああ言えばよかった課
将来どうする室
嫌われてないか確認委員会
全体像を見ようとしてずっと双眼鏡を曇らせている展望係

そいつらは速度の中で消える
納得も退職届もない
風圧でドアごと外れる

閉まらないと曲がれない
黙らないと残れない

速度は内側の清掃を始める
かなり乱暴に
うるさいものを一個ずつ消していく

稟議が消える
反省会が消える
未来予測が消える
自己紹介が消える
自分についての長い説明が後方へちぎれていく

残るのは開ける戻す倒す起こす
見る
抜く
待つ
まだ行かない
今だ

そのくらいまで減った時だけ身体は澄む

選択肢が多いほど豊かだという考えがある
身体はそんな投票箱を信用してない
身体はもっと独裁的
必要なものだけを残す
不要な感情には配給を止める

その簡潔さが時々救いになる

危険が近づくと今以外が封鎖される

過去は検問で止まる
未来は土砂崩れで埋まる
後悔は車線規制
不安は落石注意
自意識は料金所で小銭を探しているうちに置いてかれる

開いているのは前輪の先の数メートルだけ
そこだけが世界になる
そこだけが許可される

狭い
その狭さがいい

視界は広すぎるとうるさい
見えなくていいものまで見える
人の顔色
残高
通知
昔の一言
まだ来ていない月曜日
そういうものが意味ありげな顔をして部屋に入ってくる

速度の中では入れない
入場券がない
靴が遅い
名前が長すぎる

世界はいったん象徴をやめ

街は流量になる
信号は色をした命令になる
ガードレールは境界の肋骨になる
白線は今を裂かないための縫い目になる

トラックの腹の横では空気そのものが工事現場になる
見えない鉄板が一枚いきなり首の横に立つ
高架の継ぎ目は地面が奥歯で打ってくる短いモールス信号
カーブミラーにはまだ発生していない一秒が銀色の鱗みたいに引っかかる
ヘッドライトは夜の内臓に差し込まれた器具になる
風は景色を消して透明な圧力だけを残す
削岩機に似た無色の圧
その圧のど真ん中で内側だけが無音になる

音は増えている

エンジン

チェーン
タイヤ
路面
ヘルメットの中の呼吸

全部鳴ってる
なのに内側は黙る

静けさは静かな場所から来るとは限らない
そんな可憐な仕組みなら苦労しない

小鳥の説明書か
自分より強いものの前で発言権が落ちる
その時だけ内側が静まる

速さはそのための乱暴な司式
祝福より雑で祈りより正確な儀式

風が首の隙間から入ってくる
皮膚の上をまっすぐ後ろへ抜ける
肩が低くなる
顎が引かれる
目が遠くを見るふりをやめる

腕は力まない
路面のざらつきだけを通す管になる
膝はタンクを挟んでまだ言葉になっていない判断を掴む
足首は靴の中で小さく決心する

背骨は一本の意思になる

呼吸は深さを目指さない
無駄な場所で使われなくなる
肺が必要なぶんだけを配る
酸素の会計が急に厳しくなる

メーターの数字は上がる
景色は流れる
余計なものが後ろでほどける

速くなっているのに内側はだんだん減っていく
減って薄くなって硬くなる
最後には一個の身体だけになる

私は何者か
どこへ向かっているのか
この選択は正しいのか
どう進むべきか

そういう問いは低速でよく育つ
夜の机
止まった部屋
ぬるい照明
自分を物語にしてしまえる瞬間
あの湿った場所で問いはすぐ繁殖する
哲学はだいたい換気の悪いところで増える

迷惑な胞子みたいに

速度の中では問いに通行権がない

答えは出ない
問いが遅れる
考える暇が消える
考えるための床が抜ける

次の数秒に身体を置く
それだけで全部になる

問いが消える
意味が消える
自分を説明するナレーションが消える

私は何者かという文が消える
次を曲がれるか
戻せるか
開けられるか
まだ外れていないか

誰かを求める機能が一時的に停止する

欠落ではない
拒絶でもない
接続先が消える

手首の角度は共有できない
膝の圧は送信できない
視線の置き場所は説明できない
次の一秒は誰にも預けられない

助言は遅い
共感も遅い
愛も遅い
ここではありがたいものほど到着が遅い

友達
恋人
肩書き
プロフィール
理解されたい気持ち
見られたい感情
そういうものが後方で剥がれる

残るのは身体と路面の短い契約だけ

寂しさではない
孤独でもまだ少し湿ってる
もっと無機質な状態
外へ伸びる線が全部巻き取られ前輪の先へ束ねられる

誰もいないでは足りない
誰も要らないでもまだ感情が残りすぎる
誰かという発想が開かない

ただ数メートル先がある
そこへ身体を置く
それだけで全部になる

他者へ向かう触手が眠る
内側のアンテナが折り畳まれる
承認欲求は路肩に落ちる
かわいそうに

拾わなくていい

呼びかける場所がない
待つ場所もない
わかってほしいという小さな湿地が干上がる

残っているのは手首



まだ外れていないという低い確認

その中心で心拍だけ残る

高鳴りよりもっと低い
落ち着きよりもっと奥にある

余計な拍が消える
ちゃんと身体の奥で鳴る

ヘルメットの内側
耳のさらに奥
機械より遅く世界より確かな音

ドクよりも低い
もっと内側
地下で扉が閉まるような音
黒い水に石が落ちるような音
誰にも見えない場所で灯台が一度だけ瞬くような音

まだいる
まだ行ける
まだ外れてない

心拍は励まさない
慰めない
意味づけもしない
ただ事務的に打つ

生きていることがリズムとしてだけ残る

私は何者かという問いが退く
まだ打っているだけになる

問いの世界から拍の世界へ移る
移行は深い
深いのに説明がないから信用できる

心拍が澄むのは安心のせいではない
危険が充分にあるから

危険がある時身体はふざけない
見栄を張らない
遠回りな感情表現をしない
余計な比喩も本当は削る
今こうして比喩を盛っている時点でだいぶ安全圏にいる
文学はいつもガードレールの外から偉そうに実況する

いやな趣味

速度の中では身体はもっと冷たい

必要なものだけを前に出す
不要なものを後ろへ送る
過去を閉める
未来を閉める
他人を閉める
自分についての過剰な説明を閉める

そして最後に内側の騒音を閉める

現実のノイズは内側を散らす

意味のほうへ
後悔のほうへ
他人の視線のほうへ
支払いのほうへ
未読のほうへ
まだ来ていない明日のほうへ

速度はそれを逆向きにする

散ったものを前輪の前へ集める
集めすぎて最後には数メートルしか残らない
その狭さが平穏になる

平穏はやさしい場所にだけあるとは限らない
柔らかい椅子
白いカーテン
ぬるい茶
深呼吸
そういう場所に出てくる平穏もある

それでは足りない時がある

やさしい音楽では破れる
整理された言葉では足りない
前向きな解釈では現実の物量に負ける

通知
未読
支払い
人の機嫌
終わっていない会話
まだ来てない明日
説明できない疲れ
理由のない焦り
内側で勝手に開かれる終わらない小会議

あれだけの雑音に対して薄い平穏ではもたない
すぐ飲まれる
すぐ濁る
すぐまた余計なものが増えすぎる

だから必要になる

風圧でしか開かない静けさ
危険でしか閉じない扉
路面と振動と速度の総量でようやく内側のざわめきを黙らせるだけの強度

それは趣味というより防壁に近い
祈りというより遮断機に近い
癒やしというより強制終了に近い

速度は散らばったものをひとり分まで戻す
余計な部署を閉める
問いを黙らせる
意味を剥がす
今以外を通行止めにする

その封鎖された世界の中心で
心拍だけが落ち着いて鳴る

まだいる
まだ行ける
まだ外れてない

それだけが残る
それだけで足りる

間違っているように見える
たぶん少しは間違っている
正しい手順だけで静かになれるならこんな遠回りはいらない
世の中の説明書はだいたい肝心なところで紙が薄い

間違い方にしか宿らない静けさがある
危なさの形を借りないと現れない平穏がある
やさしさでは開かない部屋がある

そこへ入るために速度がある

今以外、通行止め
その標識だけが内側で青白く光っている

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この記事を書いた人


Floor Level Mind運用中。
都市の標準装備を静かに観察する人。
未完了と疲労のあいだで思考する。
高さを落とすことで、解像度を上げる。

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