作品は、公開されてから始まる。

作品はいつ完成するのか。文章・芸術・創作に共通する「完成」の前提を問い直し、公開後に現実が作品を書き換えていくという新しい視点から考える文章論

作品は、完成しない。

作品は、完成してから公開される。文章を書き終え、絵を描き終え、曲を書き終えたあとで、完成したものを外へ出す。順番としては自然だが、公開されたあとにしか起きないことがある。読まれること、誤解されること、忘れられること、誰かの記憶に残ること。そのどれも公開前には存在しないのに、私たちは公開前の段階で「完成した」と言ってしまう。その言葉だけが、少し早すぎる。

作品は、紙やデータのことではない。作者の外側で起きる出来事まで含めて、はじめて作品になる。だから公開は、完成品を見せる行為ではない。作品が存在できる環境へ引き渡す行為だ。そして引き渡した瞬間、作者は作品を完成させる権利を失う。

公開された作品は、作者の意図どおりには読まれない。引用され、誤読され、無視され、誰かの人生を変え、あるいは何も起こさない。そのどれも作者には決められない。作品は作者を追い越すのではなく、作者の支配から外れる。

だから、「完成してから公開する」という言葉を、そのまま信じることができない。公開した瞬間、作品はむしろ未完成になる。続きを書くのが作者ではなく、現実になるからだ。時間が経ち、社会が変わり、読む人間が変わる。作品は一文字も変わらないのに、十年前と今日では別の意味を持つ。その変化を作ったのは作者ではない。現実だ。

作品には完成日がない。あるのは公開日だけだ。忘れられることで完成する作品もあれば、誤読されることで完成する作品もある。誰かの人生を変えた日に完成する作品もあるし、最後まで完成しない作品もある。その違いを決めるのは作者ではない。

だから私は、作品を完成させようとは思わない。現実へ渡す。そのあとで、作品になる。

文学青年による解説

この文章は「作品とは何か」を定義しているように見えるが、実際には「完成」という言葉を作者から取り上げている。普通、完成とは作者の側にある。書き終えた、描き終えた、だから完成した。しかし、作品が作者だけでは成立しないのなら、完成という判定も作者だけでは下せない。その前提を、この文章は崩している。

重要なのは、「読者が作品を完成させる」と言っていない点だ。読者ではまだ狭い。作品を変えるのは、読者、時間、社会、忘却、誤読、引用、事件を含んだ現実そのものだからだ。ここから、作品とは完成品ではなく、現実へ引き渡された未完成品だという結論が生まれる。

この考え方に立つと、美術館も本屋もライブハウスも、作品を展示する場所ではなくなる。作品が現実へ接続される場所になる。そして作者もまた、作品を完成させる人ではなく、作品を現実へ渡す人になる。作者とは創造者である以前に、最初に手放す者なのだ。

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Author

GlassRoom / ToBeAlive Project

人がすでに持っている価値を、他人の場所で消費させず、自分の名前に残すための設計と文章。

アイドル、ブランド、仕事、選択について扱っています。

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