似ていない写真ほどあの日に似ている。
プリクラを見ると顔はかなり違う。それなのに何年か経って見つけたとき写っている顔より先にその日のことが戻ってくる。
目は大きい。肌は均される。顎は少し細い。現実の顔を保存する写真として考えればプリクラの精度はかなり低い。それでも昔の一枚を見て「これは私じゃない」とはあまり思わない。スマホで撮ったもっと正確な写真よりプリクラの方が先にその日の空気を連れてくることがある。顔は間違っているのに日付は合っている。
たぶんプリクラが保存しているのは顔だけではない。二人の間にその日だけ成立していた距離まで保存している。狭い箱へ入る。機械に急かされる。あと三秒と言われる。顔を寄せる。肩が触れる。普段なら自分から頼まない近さまで機械が決めその結果だけが写真に残る。目の大きさは作られているのに誰の隣に立ったかは作られていない。
加工も片方だけには起きない。同じ画面の中で二人とも現実から少し離れる。その日の二人が、同じ嘘を同時に引き受ける。顔はそれぞれのものなのに、その数秒だけ二人は同じ規則の中へ入る。だから顔が実物から離れていてもそこに残った「私たち」は意外と崩れない。
落書きまで残る。「ずっと友達」「また遊ぼ」「○月○日」。文字として新しいことはほとんど書いていない。それでも、その日にその二人がその言葉を選んだことだけは取り替えられない。プリクラには関係の事実よりその日に二人がその関係をどう呼びたかったかが残っている。
紙になることも大きい。スマホの写真は正確で、大量に残る。大量に残った写真は、自分から探しに行かなければ再会しないことも多い。プリクラは数センチしかないのに財布の奥やスマホケースや昔のポーチへ入り込む。別のものを探している日に急に出てくる。こちらが過去を探していないときに過去の方から出てくる。
見つけたときそこにいる顔はやっぱり今の自分にはあまり似ていない。機械の加工には時代まで写っている。髪型も服も文字の色も古くなっている。それなのに「あの日はこんな感じだった」と思える。実際にはあんな目ではなかったしあんな肌でもなかった。それでもその一枚だけはかなり正しい。
写真には対象に似ている正確さと、出来事に似ている正確さがあるのかもしれない。
プリクラは前者をかなり捨てる。その代わり誰の隣にいたか、どれくらい近かったか、何を書いたか、二人ともその写真を残そうとしたことが残る。少なくともその数分だけ同じ一枚を「これで残そう」と選んだ。
顔はかなり加工されている。二人で残りたかったことは加工されていない。
だから何年後かに見つけたとき似ていない顔を見ながらあの日だけは間違えない。
































