昨日、誰かに
「私はこう思う」と言った。
そのときは本当にそう思っていた。 今日になったらもう同じ場所にはいない。
自分の中だけなら、それで済む。 昨日の考えの続きを今日考えればいい。 昨日の自分へ戻って文章を書き直す必要もない。
でも人に渡した言葉は、自分と一緒には進まない。
「今はそう思っていない」と言うことはできる。 それでも昨日の発言が今日の発言へ置き換わるわけではない。
訂正は削除ではない。
二つ目の発言が増える。
私はそう思う。
今はそう思っていない。
本人の中では一つの考えが先へ進んだだけなのに 外には両方が存在できる。
相手が何を覚えているのかこちらには見えないこと。
相手はもう忘れているかもしれない。 でもこちらには 「この人には話した」という記憶が残る。
自分についての情報なのに
自分から保存状態を確認できない。
昨日会った人は昨日までを知っている。 三年前に会った人は三年前までを知っている。 もう会わない人の中では 最後に会った日の自分が最後の記録になる。
自分は一人なのに 自分について他人が持っている情報には それぞれ別の日付がある。
これが好き。
こうしたい。
私はこう思う。
どれもその時点では正しい。 だから消す理由がない。
正しい記憶ほど
更新されない。
間違った情報なら訂正できる。 本当にそうだったことは訂正できない。 昔好きだった。昔そう言った。昔そうした。 全部正しい。
正しいまま古くなる。
長く知っている相手については たくさんの文章を作れる。
そして分かっていると思ったことは 聞き直さなくなる。
知っていることが増えたせいで
今を見る回数が減る。
「この人はこういう人」という文章は 本人の中に置かれているわけではない。
見たこと。 聞いたこと。 覚えていること。 こちらが持っている記録をつないで 現在形の人を作っている。
「知っている」は
保存した過去から作られる。
すると順番が逆になる。
目の前の本人を見て記憶を更新するのではなく 記憶を使って目の前の本人を読む。
どれも事実なら強い。 間違っていないから 本人より先に答えを持ててしまう。
なら今の自分を正確に保存すればいい。
ここにいる今を保存する。
保存は成功する。
時刻も言葉も残る。 その瞬間の記録としては正確だ。
ただ保存できたのは
保存する直前までの自分だ。
保存した本人は もう保存したあとの時間にいる。
「最新版」はファイルにはよく合う。 保存した時点を一番新しい版として置いておける。
人にはその停止時間がない。 何も話していない間にも見ている。 考えている。忘れている。
人に最新版があるのではない。
記録に最新版がある。
誰かについて「知っている」と言う。
でも中身を開くと 「聞いたことがある」 「見たことがある」 「言っていたのを覚えている」 が並んでいる。
「知っている」という現在形の中身は
過去形でできている。
記録は残っている。
本人はもうそこにはいない。
昨日の言葉に今日はもういない。
































