アイドルになった人にはアイドルになりたかった過去がある。なんとなくそういう順番で理解されている。
小さい頃から好きだった。ライブを見て憧れた。ずっとオーディションを探していた。その時間が先にあって最後に応募する。現在の選択と過去の履歴が一本につながるので、としてはかなり分かりやすい。
でも人が何かを始める順番はそんなに整っていない。
写真を撮り始めた人が十年前から写真家を目指していたとは限らない。音楽を作り始めた人も、服を作り始めた人も、その行為を始める前から自分の未来に職業名を置いていたとは限らない。
先に触れる。
少しやる。
そこで初めて自分が何をしているのか分かる。
名前はあとから付くことがある。
アイドルだけ応募前から長期間「アイドルになりたかった自分」を所有している必要はない。
「アイドルになりたいと思ったことがない」は、落ではなく情報だ。
検索したことがない。オーディションを比較したこともない。自分がステージに立つ場面を想像したこともない。つまりそれまでの人生ではアイドルという選択肢が自分の未来に接続されていなかった。
それだけのことかもしれない。
ある募集を読んで初めて自分との距離を測る。
活動場所を見る。条件を見る。自分の生活に入れたらどうなるか考える。そこで初めて「これは自分にも関係する話なのか」と考え始める。
始点が募集ページでも特におかしくない。
むしろ長い志望歴と活動への適性を同じものとして扱う方が変だ。
長くアイドルを見てきた人にはその人なりの蓄積がある。ライブの見方、ファンとの距離感、業界への理解、憧れてきた表現。それは当然ひとつの強さになる。
でもアイドルを目指してこなかった人にも履歴はある。
その履歴が「アイドルになるため」という名前で保存されていない。
別の仕事で身についた人との距離の取り方。何かを観察するときの癖。服の選び方。身体の使い方。文章の読み方。写真を見るときに無意識に拾っているもの。人からどう見られるかより、自分が何に反応してきたか。
そういうものはアイドルになるために獲得した能力ではない。
だからこそそのまま持ち込める。
最初から「アイドルらしいもの」を大量に見てきた人だけで作れば参照されるものもある程度似てくる。
別の場所から来た人はその参照系を持っていないことがある。
何を普通だと思うかが違う。
何を可愛いと判断するかが違う。
何を恥ずかしいと感じるかも違う。
どこを重要だと思うかも違う。
その差は経験不足として出る場合もある。
同時にまだアイドルの中に入っていない判断を持ち込む可能性でもある。
GlassRoomが気になっているの、そこだ。
すでに「アイドルになるための自分」を長く作ってきた人だけで考える必要はない。
昨日までアイドルを候補に入れていなかった人が今日初めて条件を読む。
その時点では「アイドルになりたい」と言い切れなくてもいい。
「ちょっと気になる」でもいい。
「自分がやったらどうなるのかは気になる」でもいい。
まだ判断できないならその未確定さを無理に志望動機へ加工する必要もない。
GlassRoomは東京で始めるアイドルプロジェクトだ。
だからアイドルになりたい人はもちろん対象になる。
入口をそこだけに限定する必要はないと思っている。
「アイドルになりたいです」と言える人が来る。
「アイドルになりたいかはまだ分からない」という人も来る。
「昨日まで一度も考えたことがなかった」という人が募集を読んで初めて自分をその位置へ置いてみる。
その三人のうち誰が活動後に一番GlassRoomと噛み合うかは志望歴だけでは分からない。
開始前の強い意志がそのまま開始後の適性になるわけではない。
逆に開始前に名前のなかった興味が経験によって大きくなることもある。
だから見たいのは過去に何年アイドルを志望していたかではない。
GlassRoomを知ったあと何が変わったかだ。
もう一度ページを開いた。
条件を読んだ。
自分の生活に入れた場合を少し考えた。
今まで無関係だったはずのアイドルという役割が自分の未来の候補として一度でも具体化した。
そこから考えればいい。
違うと思えば違うでいい。
少し気になるならその時点から始めればいい。
人は未来の選択に正当性を持たせるために、応する過去まで持っていたことにしたくなる。
昔から好きだった。
ずっと目指していた。
本当は前から興味があった。
そう説明すると現在がきれいにつながる。
でも、現在の選択に、過去からの伏線は必須ではない。
今日初めて発生した選択肢を、今日から選んでもいい。
アイドルになる前にアイドルになりたかった過去まで用意しなくていい。
志望歴ゼロから始まるアイドルがいてもいい。
































